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Author:terra
SF好き。アウトドア好き。
ロードバイク物欲派。
レイ・カーツワイルの未来予測を支持するシンギュラリティ信者(笑)

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自転車とシンギュラリティ

私が自転車好きになったきっかけは、ちょっと変わっているかもしれない。
高校の頃のSF映画で、舞台が未来であるにもかかわらず、ごく自然に自転車が交通手段として使われているのを見てからだ。

その頃の未来の乗り物といえば、ブレードランナーのスピナーやスターウォーズのランドスピーダーなど、反重力を利用したような、オーバーテクノロジーな代物ばかりだった。

一方でくだんの映画は、近未来とはいえとても地に足がついており、自転車を立派な交通機関としてフィーチャーしていた。当時としてはきわめて斬新なエコへの気配り。そのリアルさにやられた厨房の私は、すっかり「未来=自転車!」と刷り込まれてしまったのだった。

劇中に登場した自転車は、主人公のクリストファー・ウォーケンが通勤の足に使っていたリカンベントだった。

たぶんウィンドチーター社製だったのでは? 当時すでに実在していた商品だったようなのだが、それすら知らない身に、地べたを這うトライクルスタイルは衝撃的だった。

実はリカンベントは、自動車を凌ぐスピードで巡航することも可能という。まさにそういったポテンシャルを感じさせるたたずまいだった。

2007年型のウインドチーター「HyperSport」
2007年型のウインドチーター「HyperSport」

結局、現在使っている自転車はリカンベントではなくロードバイクだけれど。クルマからの被視認性や登坂のきつさ、回転半径の大きさなどにひるんでいるからだ。しかし日本の道路事情が改善された暁には、ぜひ使ってみたいと考えている。

ところで、先のSF映画というのは、「ブレインストーム」だ。
作中のブレインストームは、人間の五感を記録する全感覚体験装置の名称で、五感にとどまらず、思考や記憶まで記録できることになっている。現実に脳をスキャンするには、最終的には脳血管にナノマシンを放つ方式なのだろうが、初期にはこれに近い装置が利用されるのかも知れない。

「ブレインストーム」
「ブレインストーム」

同僚研究員の死を追体験する際、心拍数のトレースや痛覚チャネルのみを閉止するところに、妙なリアルさが漂っていた。また、ストーリー冒頭に登場するブレインストーム装置は、パッケージ写真の通りえらく巨大で無骨そのもののだった。背後に引きずる強制冷却のパイプ群が冷気を吹き上げるさまは、のちの「アキラ」のデュワー室を思い起こさせる。

ところが、ストーリー後半に登場した普及型ブレインストームは、プラスティックのヘッドホン状。いかにも軽そうだ。見た目はオーディオプレーヤーのそれとまったく変わりがない。加速するテクノロジー

を四半世紀も前に描いている様子は、現在も評価されてよいのではないだろうか。

肝心のストーリーの方は、正直なところ劇的な盛り上がりには乏しい。しかし、かといって破綻もなく、きちんと感動のラストが用意された佳品。

これだけ良心的にまっとうな未来を描いた作品は貴重だ。
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担当編集者は知っている。

今頃検索して知ったのだが、カーツワイルの特異点本三部作の第三部?
ポストヒューマン誕生の担当編集者氏が、本書について解説しているページがほぼ日にあり、よくまとまっている。

やはり指数級数的に発展するテクノロジーのことを理解してからでないと、どうしてもカーツワイルの未来予測を信じる気にはなれないだろう。その意味で、まずは上記解説を参照してから本書に入るといいかもしれない。内容中のオイシイ部分もけっこう披露していることだし…



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人工赤血球とネンドロイド

ナノロボットの話に関連して、最近ある方から伺った話。

彼の勤務先では人工赤血球を研究しており、2015年頃、実用化する計画だという。もちろん目的は、臨床利用だ。

人工の赤血球は天然モノに比べ酸素運搬効率が桁違いなため、水中で何時間も閉息潜水したり、子どもでもプロのアスリートを凌ぐ運動機能を発揮できるらしい。
不遜だが、医療使用だけではもったいない。

その話が、『ポストヒューマン誕生』で記されていたこととまるきり同じで驚いてしまった。

ここからはカーツワイルの主張だが、
酸素摂取効率がよい人工赤血球が流れる血液があれば、そもそも心臓のような一極集中型の臓器が必要なのかという話になってくる。いつ誤動作や緊急停止するかわからない心臓1つに頼るより、そもそも循環させる必要もないから皮膚呼吸でいいじゃないか。心臓と、ついでに肺も取ってしまえ、と過激な方向に進んでいく。

その予測によれば、人工赤血球が一般普及するのは2020年代前半。
先の知人の話によると医療利用開始が2015年頃の医療利用から考えると、特異点へのスケジュールはオンタイムだ。

しかし実際のところ、臓器撤廃というのは私ですら抵抗を感じる。ナノマシンによる医療が普及すれば、結局代替不可能な臓器はないわけで、そうなると「外観だけ人類を模倣した異星人」と、もはや変わりはないのだろう。

「マグマ大使」の人間モドキなんかも近いかも。

人間もどきつながりでいうと、昔日のタツノコアニメ「ゴワッパー5・ゴーダム」のエピソードで、"ネンドロイド"が主人公の母親にすりかわるシーンがあった。
たしか、その母親がキッチンで主人公たちに語りかけながら、誤って指を包丁で傷つけてしまう。すると皮膚の破れ目から体を構成していた砂状物質が噴き出してたちまち崩壊するという、当時の子どもにはトラウマチックな話だったはずだ(作中のネンドロイドは皮膚が裂けると砂になってしまう)。

臓器を全廃したからだを切り刻んでみると、どこをとっても赤身の肉のでしかないかもしれない。その意味では、ネンドロイドと(あの砂がマイクロマシンと捉えてみる)カーツワイルのいうビジョンは通じるものがある。

話がそれ始めたので元に戻すと、数年後に実用化されるという人工赤血球は非常に楽しみだ。ぜひ、早い段階で一般で使用できることを望みたい。

身体機能が上がれば、私が趣味で乗るロードバイクなどたいへんなことになるだろう。私のような貧脚でも、グラン・ツールに出場している選手を超えるスピードで公道を走れそうだ。サプリメントを摂るように気軽に血液ドーピングした年輩女性たちが、ママチャリでクルマを煽りまくる姿が日常化しているかもしれない。

狭い路地で台車を押している○川急便も、ひょっとすると文字通りの飛脚便を復活させたりして。

どうにもくだらない妄想しか出てこないが、
テクノロジーの進化は恐ろしくも楽しい。

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき『ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき』

7/2付記 人工赤血球の原型は、ロバート・フレイタス(Robert A. Freitas Jr.)の提唱した「レスピロサイト(respirocyte)」が原型の由。酸素をヘモグロビンではなくナノスケールの圧力タンクに貯蔵することで、天然赤血球の数千倍の容量を運べるとしている。
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鞭毛をもつ医療用マイクロロボットが2009年実用化予定

動脈を泳ぎ進む医療用マイクロロボット(1)
「心臓その他の器官を通り抜けられるこの微小なロボットは、注射器を使って挿入される。リモートコントロールされたロボットは、疾患のある部位まで体内を泳ぎ進み、一連の任務を遂行した後、挿入された場所まで戻り、注射器で再び取り出される」

きちんと用事を果たして注射針のところまで戻ってきてくれる、と。
将来これを使う医療技術者は、「fetch!」とか呟きながら注射しているかもw

2009年実用化の予定とすると、2010年代にはナノサイズのロボットが出始めるんだろう。

タイムスケジュール通りですなあ…
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加速するテクノロジー

「加速するテクノロジー」『レイ・カーツワイル加速するテクノロジー』

5/30発売。当日は渋谷で所用があり、ほんとうにたまたまだがNHK出版お膝元の書店で購入。舌なめずりするように読んだが、これまでの『スピリチュアル・マシーン』『ポスト・ヒューマン誕生』の、論理を究極まで敷衍した濃厚な内容と比較すると、残念ながら薄味である。

しかし、カーツワイルの予測を全面的に信じたい私のような人間でも、その宗旨をカミングアウトするには相当に勇気がいるくらいだ。
まして、はじめてあの主張に触れる向きには、ほとんど「トンデモ系」としか思われないだろう。その意味で、無害なさわり部分だけを知る一冊として、よいのかもしれない。

束(ツカ)も薄い書籍だが、カーツワイルの主張にやや懐疑的な人物の解説が後半を占めており、第三者的視点という意味ではバランスは取れている。ただし、その論拠が「ナノテクの人体適用には倫理的な制限がつきまとう」などと眠い理屈ではあるけれど。

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特異点とは

説明なしで「特異点」を連呼しているので、ここらで説明を引用しておきたい。

「特異点とは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作り出したテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、以前として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している。特異点以後の世界では、人間と機械、物理的な現実とヴァーチャル・リアリティとの間には、区別が存在しない」『ポスト・ヒューマン』誕生


もうひとつ、ウィキペディアより(よくまとまっており、私のような稚拙なエントリーはこっ恥ずかしい限りですが)
→技術的特異点

カーツワイルによれば、その特異点の到来は2045年。
2020年には$1000で手に入るコンピュータが人間ひとりの知能を凌駕し、
2045年には同じ値段で人類10億人分の知能が手に入れられる計算になる、というのがベース。
ゴードン・ムーアの提唱した「ムーアの法則」などと同様、指数関数的な発展を外挿するとこうなるという。

一方、「そう順調に何十年も発展するわけがないだろう?」というのが、懐疑派の論拠のひとつ。

しかし私は、たとえ障害が発生したとしても、最終的にはカーツワイルの理屈が勝つのだろう、と思っている。

予測通りに進まないにせよ、技術の進歩が袋小路に入ることはないだろう。変化が遅れ、たとえば2045年が2075年になるだけのことだと思う。現在の医療の進歩からすると、健康管理に注意を払えば、不惑を過ぎた私のような者でも、そのくらいまでの延命は可能だろう。

少なくとも200年程度は長生きして、世界(や宇宙)の驚異を見て回りたいと思っている。
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特異点は近い

『スピリチュアル・マシーン』を読んでいるとき、タイミングよく原著で最新刊が出た。『The Singularity Is Near』だ。

早速これも購入して、辞書と首っ引きで読んだ。
…しかし、途中で挫折。
翻訳の登場を待ちのぞんだ。アメリカでは話題になっているようで(なにしろ著者はJavaの生みの親、ビル・ジョイに“科学技術の発展を制限しなければならない”と本気で言わせたほどの人物だ)、即、邦訳が出ると思っていたが、ずっとその気配はなかった。
日本ではこの手は受け入れられないのかと落胆して2年近く過ぎた頃、ようやく今春にNHK出版から翻訳が出た。

ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき『ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき』

率直に言うと、翻訳版の書名はなんとかしてほしかった。

凡庸だし、原題とは無関係。
あたかも身体性の変化だけを描いているかのように矮小化しており、損だと思う。カーツワイル自身も本文中で、「ポスト・ヒューマン」という表現に否定的なスタンスを明らかにしているのに。

もし私が編集を担当したなら、原題から直球で『シンギュラリティ』一語の邦題にしただろう。
目新しい単語にすることで、話題性を狙うべきだろうし、ひょっとすると流行して人口に膾炙することもありえると思うけれど…

余談ながら、SF小説で日本ですでに「シンギュラリティ」を使った
チャールズ・ストロスの『シンギュラリティ・スカイ』が先行している。
エンキ・ビラル的な沈鬱な星間帝国と、ヒエロニムス・ボッシュ的な
おどろおどろしい惑星世界の対比という、筋よりもアタマの中には
そんなビジュアルばかりが残る作品ではあるけれど。


また、原著に記されていたコラム類が割愛されていたり、『スピリチュアル・マシーン』から継続登場している狂言回し的女性キャラ(実はカーツワイルの別人格でもある)が脚注なしで出てくるなど不親切な部分は多い。

しかし、それでも私には翻訳の登場はものすごくうれしかった。

高価な書籍の部類に入るが、たとえこれの十倍や二十倍払っても、読む価値はあると思う。実際、購入した本は読むのが惜しく、通読用にわざわざ図書館で借りたくらい(笑)。

『スピリチュアル・マシーン』よりさらに先の未来、そしてそこに至る具体的なステップが描かれており、衝撃度でいうと一段も二段も上回る。人生のうちで、ここまで視点を揺さぶられる書物との出会いは、そうそうないとすら思う。

突拍子もない道具立てのSF小説ならそれなりに読んできたが、本書以降、もはや私の中で生き残っているのは、グレッグ・イーガンくらいしかいない。

その突拍子のなさは、ぜひ本文にあたって欲しい。
論理のハシゴを辿りながら読まないと、

あと100年するかしないかの間に、太陽がダイソン球で包まれている──という予測など、カケラも信じられないだろう。

しかもそのダイソン球を構成する素材そのものが途方もないコンピューティングパワーをもつ知性体であり、それはいまこの瞬間に生きている私たちの未来の姿だなどと。

そして遠い末裔ではなく、ほかならぬ私たち自身が永遠の生命を得、自分や自分の人格から派生したコピーを宇宙全体に(そしてこの宇宙を超えて?)広めているかもしれないなどと。

──ここまでくると、もはや虚言や妄想の類にしか思えないにちがいない。

懐疑派によっては、彼が主張する「収穫加速の法則」の論拠となる歴史的事実はどれも、都合のよい部分だけをピックアップしたものだと反論するかもしれない。

しかし、彼のこれまでの輝かしい実績──OCRの発明者であり、シンセサイザーの開発者──を考えれば、単なる大風呂敷とは片付けられないだろう。

このビジョンに触れれば、私など「理屈はいいから、そうなってほしい!」と願わずにいられない。
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